おはなし★故事★stories
自分は他のどこにもいないし、おそらくまあ世界に一人でしょう。しかもどうせ死ぬわけだから、その間ぐらい自分を大事にしないと。(河合隼雄)
失敗しても笑うことはできる
日本のある企業の社長は、毎月月末『楽しい例会』という業務例会を招集していた。具体的に調査し業務を手配する前に、各部門の部長に3分間で全員にその月最も楽しかったことを報告させた。そして彼はいつも先頭を切って楽しい出来事を全員に伝え、会場を笑いでいっぱいにした。この社長は、当時の日本最大の小売りグループ「ヤオハン」社の総裁和田一夫だった。
2年ほど前、「ヤオハン」は一夜のうちに奈落の底へ落ちた。そのとき和田一夫はすでに72歳の老人だった。和田一夫は「ヤオハン」が倒産したからといって、自分の心の中の信念と楽しさを押しつぶすことはなかった。彼は数人の若者と協力して、ネットワーク・コンサルタンティング会社を立ち上げた。新たな業界に進出して、彼は自信に満ち、いつも微笑みをたたえていた。彼の楽しさ、熱意、積極的な生活態度は、とうとう顧客を感動させ、まもなく商売は再び盛り返し、人生に再び「うららかな日」を取り戻させた。
ある記者が和田一夫に質問した。どうしてこんなに短い期間で敗北を転じて勝利となし、復活できたのか、と。和田一夫は楽しそうに答えた。「失敗したから、笑うこともできたのだ!」
「失敗しても笑うことができる」、どんな状況でも、たとえ致命的な打撃を受けたとしても、和田一夫のようにがんばって『笑い』続ければ、楽しげに『笑い』続ければ、命の中の日差しが最後には人生の成功の花を咲かせてくれるのだ。
価値は革新にある
1987年、アメリカのふたりの郵便配達員コールマンとシュロートは、小さな子供が光を発する蛍光棒を持っているのを何げなく目にした。この坊やは何に使うのだろう?あれこれ考えながら、ふたりはふとロリポップを蛍光棒のてっぺんにつけてみた。その結果、光線が半透明のキャンディを通って、不思議な効果を見せたのだ。この小さな発見に、ふたりは驚喜した。彼らはこれで発光棒キャンディの特許を出願し、この特許をケープ・キャンディ社に売り渡した。
奇跡はこのときからはじまった。ふたりの郵便配達員は考え続けた。ロリポップをなめるのは骨が折れる。自動で回転する小さなモーターをつけることはできないだろうか?電池でそれを動かせば、力もいらず楽しい。この考えはすぐに実施に移された。彼らにとっては創造など朝飯前だった!回転ロリポップはすぐに市場に投入され、きわめて大きな成功をおさめた。最初の6年間で、この売価2.99ドルの小さな商品は合計6000万個売れたのだ!コールマンとシュロートは手厚い報酬を手に入れた。
さらに大きい奇跡がその後に控えていた。ケープ・キャンディ社の責任者オーシュはあるスーパーで電動歯ブラシを目にした。たくさんのブランドがあったが、価格は50ドル以上もした。このため販売量は少なかった。オーシュはひらめいた。どうして回転ロリポップの技術を使わないのだろう。5ドルのコストで1本の電動歯ブラシが作れるのに。
オーシュとコールマンとシュロートは技術移植に着手した。まもなくアメリカ市場で最も売れた回転歯ブラシが誕生した。それは伝統的な歯ブラシよりもよく売れた。2000年に、3人は小さな会社を立ち上げ1000万本この歯ブラシを売った。これでは、P&G社も安閑とはしていられない。比べてみると、彼らの電動歯ブラシのコストは非常に高く、ほとんど市場での競争力がないのだ。そこで、駆け引きをして、2001年1月、P&Gはこの小さな会社を買収した。前払いの頭金は1.65億ドルで、3人の創業者はその後3年間P&G社に留まることになった。1年余りたって、P&G社はオーシュ、コールマン、シュロート3名との契約を前倒しして解除した。電動歯ブラシが非常によく売れ、P&Gの予想をはるかに超えていたからだ。ある国際スーパーの会社の助けで、電動歯ブラシはすでに世界35カ国で販売されていた。この勢いからして、P&Gは3年契約満了後にオーシュら3人に支払う金額は予想をはるかに超えてしまう。とうとう協議によって、契約を前倒しして解除し、オーシュ、コールマン、シュロートは一時金として3.1億ドル手にした。もとの1.65億ドルを加えると、合計4.75億ドルになった。これはめまいがするほどの天文学的数字だ。トラックでこんな大金を銀行から運べば、おそらく相当な時間を要するだろう!
ひとりなら、4.75億ドルをうらやましいと思わないこともできるが、技術創造を粗末にしてはいけない。ひらめきと創意がこの成功のもととなったのだから。
成功は穴をあけること
20世紀初頭、アメリカのスコット・ペーパー社は大量に紙を仕入れたが、輸送過程のミスで紙面が濡れてしわになり使用できなくなってしまった。
倉庫いっぱいの廃棄処分の紙を目の前にして、みんなはどうしてよいかわからなかった。重役会議で、ある人は紙を供給業者に返品して損失を減らすことを提案した。この提案にはほとんど全員が賛成した。
アーサー・スコットはそうは考えなかった。彼は自分のミスのために他人に負担を負わせることはできないと考えた。しばらく考えて実験を繰り返した後、ついに彼は紙のロールに穴を開け、紙を一枚一枚破りやすくすることにした。
スコットはこの紙に「サニー」衛生ナプキンと命名し、駅やホテル、学校等に売りトイレに置いた。意外なことにこの衛生ナプキンはかなり使いやすく人気があった。現在、トイレットペーパーはすでに人々の日常生活には欠かすことのできないものになっている。
1940年代、角砂糖は防湿紙で包装されていたが、密封紙がどれだけ厚く、何枚重ねても、時間が経てば、角砂糖はじょじょに湿って黄色なるものさえあった。製糖メーカー各社は多くの専門家を動員し、多額の資金をつぎ込んだが、有効な防湿法を見出せなかった。
カルソールは製糖会社の普通の社員だった。毎日角砂糖に触れていたので、角砂糖の性質についてはよく知っていた。仕事以外の時間に、彼はどうしたら有効な防湿法が見つかるかを考えていた。彼はいろいろな方法を試してみたが効果がなかった。この日、彼は奇想天外なことを考えた。反対に考えることはできないだろうか、と。そして、角砂糖の包装紙に穴を開けたのだ。その結果、空気の対流が角砂糖が湿るという現象をなくしてくれた。ついに多くの専門家の頭を悩ませた問題が解決したのだ。
このひろいビジネス界には、どこにでも障害があり、挫折することもある。乗り越えることが難しい方法は必ずしもヒト、モノ、カネを大量に投入する必要があるわけではない。時には頭をたたき考え方を変えるだけで、問題はすんなり解決し、富の方から転がり込んでくることもある。
我們就是世界(We're the World)
2,3年前のこと、私の信仰体系に影響を与える体験をした。世界に対する見方が永遠に変わってしまったのだ。そのころ私は「生命の泉」という名の潜在能力開発を意図した組織に参加していた。私とその他50名は3カ月にわたる「リーダーシップ養成」トレーニングを受講していた。ある週の例会で、みんなはやりがいのある活動を提案した。その日から、私は生命の意義について新たな理解を得た。この活動はロサンゼルス市の1000人のホームレスに朝食を提供しようというものだった。それ以外にも衣類を調達して彼らに分けるという項目もあった。肝心なのは私たちがポケットマネーを使ってはならず、本人ひとりで動いてはならないということだった。
しかし私たちの中にはひとりも飲食業や類似の業界で仕事をした者はいなかった。私の最初の反応は「ええ、できもしないことを引き受けたんじゃないか?」というものだった。しかし私たちはさらに土曜日の午前中にこれらすべてをやり遂げるよう言われていた。現在すでに木曜日だ。私はなおさらこんなことをやり遂げるのは不可能だと予感した。こんなふうに思っていたのは私だけではなかっただろう。
周りを見回すと、50枚の顔が固くこわばっている。まるで消したばかりの黒板のような表情だ。この作業にどう手をつけたらいいかという手がかりをつかんでいる者はひとりもいなかった。しかしさらに意外だったのは、――だれも降参を申し出た者がいない以上、私たちはいやいやながら「はい、わかりました。きっとできます。問題ありません。」と言うしかなかったのだ。
そしてある人が提案した。「それなら、チーム分けをしようじゃないか。1チームは食べ物を、もう1チームは料理道具を手配するんだ。」こう言った人もいた。「うちにトラックがあるから、家具を運ぶのに使える。」
「いいぞ!」私はぺちゃくちゃと叫び始めた。またある人が付け加えた。「もう1チーム作って接待と衣類の募集をしなくちゃ。」私はいろいろ考えられなかったので、連絡チームのリーダーに任命された。
早朝2時、私たちはリストを作成し、思いつく限りしなければならないことをすべて書き出し、それから仕事を各チームに割り振った。その後帰宅してしばらく眠った。私は枕に頭をのせたときまだ「神様、どうやったらいいのか全然わかりません。手がかりさえつかめません……でも私たちは全力でがんばります。」と言っていたのを覚えている。
6時、目覚ましの音に起こされた。数分後、2人のメンバーが来た。私たち3人とチームの他のメンバーは24時間内に1000人のホームレスに朝食を提供できるかやってみようと思った。私たちは電話番号簿をめくり、援助してくれそうな人をリストアップして電話をかけた。私が最初に電話をかけたのはヴォーン協力本社だった。私の説明を聞いて、向こうからは、食物を提供する書面資料を提出しなければならず、許可が下りるのに2週間はかかるとの言ってきた。私は辛抱強く、私たちは2週間も待てない、今日中に必要なのであって、できれば暗くなる前にお願いしたい、と説明した。その部門の部長は1時間後に彼女の方から返事をくれると言ってくれた。
私はウェスト・バーガー社にも電話して、我々の要求を再度申し出た。社長は快く承知してくれた。本当に予想外のことで大喜びした。
私たちは一度に1200個のニューヨーク・ベーグルを手に入れた。ジャージー農場に電話して鶏肉と鶏卵を調達しようとしているとき、私のポケットベルが鳴った。仲間がハンセン・ジュース社からトラック1台分の新鮮なニンジン・ジュース、スイカ・ジュース、その他のフルーツ・ジュースを調達し、ハンセン社はそれを寄付しようと言っているというのだ。ヴォーン協力本社の部門部長からの回答の電話では、我々のために600個のパンを含む各種の食品を調達したとのことだった。10分後、ある人から電話があり500個のコーンクレープを寄付しようと言ってくれた。実際、10分後また電話がかかり、500個のコーン・クレープを寄付しようと言ってきた。実際10分ごとに、メンバーからこれだけ調達できたという連絡が入っていた。「わあ、まさかこれ達成できるんじゃないだろうな?」と私は思わずにはいられなかった。
18時間の緊張を強いる作業の後、私は最後夜中に車を走らせてウンシャル・ドーナッツ社へ、800個のドーナッツを運ぶために行った。私はそれを慎重に貨客両用車車両の片隅に積み上げた。こうして1200個のニューヨーク・ベーグルを入れる場所ができた。(私は5分間でそれらを運ぶ約束をすでにしていた)
必要な休憩を数時間とった後、私は車に飛び込んだ。ウェスト・バーガー社の催促があって、ニューヨーク・ベーグルを積み(このとき私の車はパン焼釜のような匂いがし始めていた)、その後ロサンゼルスまで直行した。すでに土曜日の朝になっていた。私はほんとうに疲れ切っていた。5時45分、私は車を駐車場に入れた。メンバーたちが作業炉を組み立てて、ヘリウム気球を充填し、簡易トイレを設置していた――私たちは何もかも考えていたのだ。
私は急いで車を降り、袋に入ったベーグルとドーナッツを一箱ずつおろした。午前7時、駐車場前に長い列ができ始めた。私たちは朝食を配給しているという情報は付近のスラムにあっという間に伝わったのだ。列はだんだん長くなって、街まで延び、街全体をひと回りした。7時45分、女性から子供までが食事の列に加わった。彼らのトレーにはチキン・フライ、ゆで卵、コーン・クレープ、ベーグル、ドーナッツ、その他の食品でいっぱいになった。そばにはきれいに衣類がきれいに重ねられた。暗くなるまでに、これらの衣類はすべて持ち帰られた。スピーカーからは感動的な演説が響いた。「We're the world.」私の目の前に人が集まってきた。年齢も皮膚の色も異なっていたが、みな思いっきり朝食を楽しんだ。午前11時になり、食べ物の配給は終了した。合計1140人のホームレスが朝食にありついた。
私たちは成功した。48時間足らずの間に1000人以上に上るホームレスに食物を提供したのだ。今回の経験は私にとって特に影響が大きかった。今では、人々が私に何かしたいが自信がないというとき、私は心の中でこう言っている。「そうだ。私はあなたの気持ちがわかる。私も以前そう思っていたのだから……」と。
オオカリに学べ、カモメになるな
很容易理解人们为什么喜欢海鸥——俯视礁石嶙峋的海港,我看到一只海鸥在自由地飞翔。它的双翼强劲地向后拍打着,越升越高,越升越高,直到高过所有其它海鸟,然后滑翔出一个个华丽的弧圈。它不断地表演着,好像知道一架摄像机正对准它,记录着它的优雅。
人々がカモメが好きになる理由はよくわかる――岩が折り重なる港を見下ろしているとき、私はカモメが自由に飛び回るのを見た。カモメはふたつの翼を力強く羽ばたき、どんどんどんどん高く舞い上がり、すべての海鳥よりも高く舞い上がり、それからクルリときれいな円を描いた。カモメは演技を続けた、まるでビデオカメラが自分に向けられているのを知っているかのように。自分の優雅な姿を記録しているのを知っているかのように。
但是在海鸥群里,它完全变了个样子,所有的优雅与庄严都堕落为肮脏的内斗与残忍。还是那只海鸥,它像炸弹般冲入鸥群中,偷走一点肉屑,激起散落的羽毛和愤怒的尖叫。海鸥之间不存在分享与礼貌的概念,只有嫉妒和凶猛的竞争。如果你在一只海鸥的腿上系上根红丝带,使它显得与众不同,你就等于宣判了它的死刑。其它海鸥用爪子和嘴猛烈地攻击它,让它皮开肉绽、鲜血直流,直到倒在地上成为血肉模糊的一团。
しかしカモメの群れの中では、様相は一変する。優雅さや荘厳さはすべて卑劣な内輪もめと残忍さへとおとしめられる。またあのカモメのことに戻るが、彼は爆弾のように群れの中に突っ込んで行って、肉のかけらを奪い取った。羽が激しくとび散り憤怒のするどい鳴き声が響く。カモメ同士の間には分け合うとか礼儀とかいう概念はない。あるのは嫉妬と獰猛な競争だけだ。もしあなたが1羽のカモメの脚に赤いひもを結んで、他のカモメたちの中で目立たせておいたら、あなたがそのカモメに死刑を宣告したのと同じことになる。他のカモメたちは爪とくちばしで猛烈にそのカモメを攻撃し、皮も肉もボロボロにして鮮血が流れ出すことになる。肉と血でできた何かわからない塊になって地面に落ちるまでだ。
如果我们一定要选一种鸟儿作为人类社会的榜样,那么海鸥绝对不是个好选择。相反,我们应当学习大雁的行为。你曾想过为什么大雁要排成“V”字形的雁阵吗?科学家告诉我们,在雁阵中大雁飞行的速度比单飞高出71%。处于“V”字形尖端的大雁任务最为艰巨,需要承受最大的空气阻力,因此领头的大雁每隔几分钟就要轮换,这样雁群就可以长距离飞行而无需休息。
もし我々が人類社会の模範としての鳥を選ぶとするなら、カモメは絶対によい選択とは言えない。それとは逆に、我々はオオカリの行動を学ぶべきだ。あなたはオオカリの群れがどうしてV字型になっているのか考えたことがあるだろうか?科学者によれば、オオカリの群れの中のオオカリの飛行速度は単独飛行より71%速い。V字型の先端のオオカリの任務が最も大きく、最大の空気抵抗を受けなければならない。このため先頭に立つオオカリは数分おきに交替しなければならない。こうすることで長距離を休憩なしで飛ぶことができるのだ。
雁阵尾部的两个位置最为轻松,强壮的大雁就让年幼、病弱以及衰老的大雁占据这些省力的位置。雁阵不停地鸣叫,这是强壮的大雁在鼓励落后的同伴。如果哪只大雁因为过于疲劳或生病而掉队,雁群也不会遗弃它。它们会派出一只健康的大雁,陪伴掉队的同伴落到地上,一直等到它能继续飞行。
群れの最後尾の両端は最も気楽な位置なので、強いオオカリは幼い者や病弱な者、年老いたオオカリをこの力がいらない位置に配置する。オオカリの群れはずっと鳴き続ける。これは強いオオカリが落ちこぼれていく仲間を励ましているのだ。もし疲れや病気でついて行けないオオカリがいても、群れはそのオオカリを見捨てはしない。オオカリたちは健康なオオカリを1羽派遣して、落ちこぼれた仲間を地面まで付き添わせ、また飛び続けられるようになるまで待つ。
这种紧密合作的社会秩序对于雁群的生存和健康发展起了非常关键的作用……然而有时候我们的社会更像是亿万孤独的海鸥组成的群体,人们为个人的利益争吵不休,代价是不得不孤独地承受自身的压力。
このような緊密な共同社会秩序はオオカリの群れの生き残りと健康的な発展に要となる役割を果たす……しかしときどき我々の社会は何億何万の孤独なカモメの群れのようになる。人々は個人のために絶え間なく争い、その代価としてひとりストレスを抱えることになるのだ。
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ひとつのプルトップ缶が人生を変えた
彼は貧しい子供で、郊外のゴミ捨て場の近くに住んでいた。3年生になったとき、彼は道で1個のプルトップ缶を拾った。このとき、廃品回収業者がちょうど通りかかり、彼は生れてはじめて取引をした。この取引の純利益は1角だった。
このときから、彼は地面に捨てられたものはすべてお金になることを知った。3年生から高3になり、彼は合計8745kgの廃紙、4762個のプルトップ缶、3143本の酒ビン、981kgのプラスチック包装袋を売った。同級生たちがどんなに彼を嘲笑しいやがらせを言おうと、彼はほんとうにバカなのは自分ではなく、プルトップ缶を見ても拾わない人だと思った。10年間、彼は家には1銭も無心せず、廃品を拾ったからと言って学業には全く影響がなかった。反対に、経験を積んだおかげで成績はいつもトップクラスだった。その後、彼は順調に広州のとある経済貿易大学に合格した。
大学ではまた昔の仕事を始めたが、このときは週に3日だけだった。一個のプルトップ缶を拾ったとき、別荘のベランダにいた外国人ビジネスマンに見られていた。外国人ビジネスマンは彼に門の前の芝生に落ちているプルトップ缶を拾って行ってくれと頼んだ。彼が別荘に近づくと、外国人ビジネスマンは賞賛の言葉で彼を励ました。このとき外国人ビジネスマンは、このゴミ拾いの若者が彼が話した英語を理解できることに驚いた。外国人ビジネスマンは異常に興奮していた。彼の妻がちょうど英語がわかる芝生管理者を必要としていたからだ。
次の日、彼はこの外国人ビジネスマンの家庭に入り、芝生の剪定、薬剤散布を手伝った。彼の週給は50米ドルだった。その後、彼らの紹介で、別の3軒の外国人の芝生管理者も務めることになった。
大学の4年間、彼は日曜を利用して4万米ドルを稼いだ。卒業時には、彼は広州初の芝生管理公司の設立を申請した。現在、彼の業務はすでに外国人ビジネスマンの家庭の芝生から住宅地の芝生にまで広がり、業務範囲も手入れのみから肥料、除草剤、草刈機の取扱いを兼ねるまでに発展した。
まもなく、彼はスローガンを掲げた――あなたは遊んでいなさい、私がやります――というものだ。400名の大学、高校、中学、小学生が夏休み期間中に彼のもとに雲集し、広州の70%の芝生管理業務を引き受けた。建築業者も次々と訪れた。住宅地の青々とした芝生が住宅の家賃や販売価格を2%から3%引き上げることがわかったからだった。
今では、昔プルトップ缶を拾っていた男の子はすでに広州一の百万長者になっている。現在、彼のデスクには純金製のプルトップ缶が置かれている――その意味は、もちろん主人の財産を示すためだけではない。
涙はどうでもいいことなんかじゃない
早朝3時、彼は1000m以上の深さの坑道で作業をしていた。突然怪しい轟音が響いた。爆弾が唸りを上げて飛んで来たような音だった。100m向こうはすでに水につかっていた。坑灯に照らされて特別薄暗く恐ろしく見えた。長年の炭鉱作業経験から、彼は瞬時に大事故が起こったのだと感じた。いちばん近い西側の出口へ急ぎながら、「事故だ!水がついたぞ!」と叫んだ。
坑道には他に5人の労働者がいてその叫び声を聞きつけ、命からがら飛ぶように逃げた。しかし、西側の出口はすでにふさがっており、洪水が湧き出していた。彼は急いで向きを変えて、仲間を連れて東へ走った。しかし今回の洪水の規模は彼の想像をはるかに超えていた。東坑が唯一の通路だったが、洪水で水没していたのだ!
このとき水はすでに膝まで来ており、前にも進めず、後ろからは追っ手が迫っていた。彼らは数十mの高さの作業台に引き返さざるを得なかった。そこは短時間で行ける唯一の安全な場所だった。洪水は獰猛な巨獣のように、牙をむき爪をふるい人を飲んだ。彼が経験豊富だと言っても、今回はまた太陽を拝めるかどうかわからなかった。彼は自分自身をたしなめた。「絶対に冷静にしていろ。一縷の生きる望みを勝ち取るんだ。そうしなければ間違いなく死ぬぞ!」
1時間ごとに彼は水位を測った。しかし測るたびに気持ちは沈んでいった。水位はさらに上昇していたのだ。死神は一歩一歩迫って来ていた。彼らは見ているだけで座して死を待っていた。これより残酷な状況などあるだろうか?水位がどんどん上昇するにつれて、生きる望みは薄れていった。5人の同僚の顔は絶望のあまりゆがみ、我慢しきれず泣きだす者もいた。悲しみはすばやく他へと伝染していった。漆黒の坑道に泣き声が広がった。
彼は泣きはしなかった。反対に大声でどなった。「泣けるもんなら泣いてみろ。俺さまがすぐに水の中に投げ入れてやる!」すぐさま静けさが戻った。彼の言葉に従わない者はいなかった。他の5人は炭鉱に来てまもない新人だったが、彼は13歳のころから炭鉱に入り悪戦苦闘し、30数年間何度も死地から生還した――このときは、彼が唯一の命綱だった。
1日、2日、3日、まるで3年が経ったようだった。腕時計の日付が変わって、多くの者が絶望のどん底にいたが、泣こうとはしなかった。そこに静かに横になって死を待っていた。彼がけが水位を測り続けていた。3日目の午後のこと、水位が1cm下がったのだ!彼は狂ったように喜んで、すぐに全員に伝えた。「上で水を抜いて俺たちを助けようとしているぞ。あと何日か持ちこたえさえすれば、俺たちは助かる!」それから、彼はみんなと3箇条の約束を結んだ。一、泣くことは許されない。二、何事もないのに話すことは許されない。三、毎日ひとかけ木の皮をかじる。坑道内の添え木は松の木だった。松の木の皮は本当に硬いので、飲み込みづらい、ひとり一日手のひらの半分の皮しか飲みこめなかった。しかしこの小さな木の皮が、彼らをなんとか支え続けていた。
暗黒の中死んだような静寂が広がっていた。7日後、彼らは意識もうろうとしながら機械の轟音を耳にしていた。人が騒ぐ声も聞こえてきた……
6人の炭鉱労働者は1000m以上の深さの坑道で7日7晩持ちこたえて生還することができた。この大災害の中での奇跡だった!そして彼、黄益龍という名の普通の中年男性は、さらに英雄扱いだった。数日後、彼と数名の生存者はテレビ局の番組に招かれた。この手に汗握る死の淵からの生還劇を聞いて、賞賛の声が飛び交った。
感激のあまり、突然観衆はこんな質問をした。「一点わからないことがあるんですが、あのような状況で、悲しんで泣くのは人の常です。でもあなたは他の人たちが泣くのを許さなかった。人間味がなさ過ぎませんか?」彼は手をこすりながら素直に笑って、こう言った。「大それた道理はわからんが、みなさんにこんなお話をしておきましょう。」
「数年前、俺は別の炭鉱で働いていた。そこでも浸水事故が起こった。当時4人が坑道に閉じ込められた。ふたりは悲しみのあまり泣きやまず、他のふたりは一言も泣き声をあげなかった。4日後排水されて水がひいたとき、泣いたふたりは死に、泣かなかったふたりは生き残った。その後、生存者は私に言った。あのふたりは泣きやまず貴重な体力を浪費し、食べ物もなかったので、結局救助を待たずに死んでしまったのだと……だから俺は、あんな状況で泣いても屁の役にもたちゃしない、やられるだけだと思ったんだ!」
彼は小学校卒業で、学歴は高くなく、言葉も荒っぽいが、理屈は全くそのとおりだった。
何人の人が、無数の大風大波の襲撃を受け、最後に自らの涙の中で溺れ死に、悔しい思いをしたことだろう。この世では涙はあまり信頼されず、汗のみが承認される。涙で自分を消耗するより、汗にまみれて戦いチャンスをつかむ方がましだ。もしいつか予期せぬ失敗や災難が訪れても、選択は難しくないと信じている――汗を流すほうがましだ、絶対涙を流すな、決して泣くな!
